北海道 札幌市で中村天風先生の「心の健康法・身体の健康法」を学んでいます

公益財団法人天風会認定 北海道の会

中村天風とは

中村天風(1876年7月30日-1968年12月1日)

本名 中村三郎。明治9年7月30日旧東京府豊島郡王子村生。
中村天風
日露戦争の軍事探偵として満蒙で活躍したが、帰国後、当時不治の病であった肺結核を発病。
心身ともに弱くなったことから人生を深く考え、救いを求めて欧米を遍歴し、一流の哲学者、宗教家を訪ねるが、望む答えを得られず、失意のなか帰国を決意。途中、ヨーガの哲学者と出会いヒマラヤの麓で指導を受け、心を根本からつくりかえたことで、結核を克服した。
帰国後は実業界で活躍するが、大正8年、人々を救おうと、ヨーガ哲学と自らの体験から「心身統一法」を創見した。この教えに感銘を受けた政財界など各界の有力者の支持を受け、天風会(※昭和37年、当時の厚生省許可の財団法人となる。平成23年に内閣府認定の公益財団法人に移行。)を設立。
天風に師事した主な著名人には、東郷平八郎、原敬、山本五十六、岩松三郎(元最高裁判事)、双葉山、ロックフェラー三世、大佛次郎、松本幸四郎 (7代目)、松下幸之助、宇野千代、内海倫(元人事院総裁)などがいる。
現在でも、尾身幸次(元財務大臣)、御橋廣眞(名古屋大学名誉教授)、稲松信雄(東邦大学名誉教授)、松本光正(医師)ら中村天風直弟子の天風会員は、全国で心身統一法の普及を行っている。また、広岡達朗氏、稲盛和夫氏、松岡修造氏ら、数多くの人々が中村天風に深い共鳴を示し、その教えを自らの人生に、また事業経営などに活かしている。

略歴

西暦 年齢 できごと
1876年(明治9年) 父中村祐興、母テウの三男として生まれる
1889年(明示22年) 13歳 玄洋社を主宰する頭山満に私淑
1898年(明治31年) 22歳 頭山を通して孫文と知り合う
1902年(明治35年) 26歳 陸軍参謀本部情報官として採用され満州に渡る
1904年(明治37年) 28歳 日露戦争勃発。以降軍事探偵として各地を転戦
1906年(明治39年) 30歳 日露戦争終結により任務解除。同年大喀血
1907年(明治40年) 31歳 当事の結核治療の第一人者北里柴三郎博士に奔馬性肺結核と診断され、死に直面。
その後、かつての強い心を取り戻すべく宗教、哲学、心理学の書を読み漁り且つ国内の名士を訪ね歩く
1909年(明治42年) 33歳 国内では克服できず、海外に救いの道を求めて渡米、その後イギリス、フランス、ドイツと遍歴するが求める回答を得ル事は出来なかった
1911年(明治44年) 35歳 帰国を決意。その途上カイロのホテルでヨガの聖人カリアッパ師に巡り会う。
その場から同師に連れられヒマラヤ山脈のカンチェンジュンガ山麓のゴーグ村に入る。
後2年数ヶ月の修行により悟入転生の新天地を拓き、日本人初のヨガ直伝者となる
1913年(大正2年) 37歳 帰国後数年、東京実業貯蔵銀行頭取をはじめ、実業界で活躍
1919年(大正8年) 43歳 突如感じるところがあり、それまでの一切の社会的地位、財産を放棄し、救世済民の為、「統一哲医学協会」(現公益財団法人天風会)を創設。
これより欠かさず上野公園、日比谷公園にて樹下石上で辻説法を行う
1924年(大正13年) 48歳 小松侯爵(元北白川宮輝久王)入会。
同候の推挙により、東久邇、北白川、竹田の三内親王殿下に数回にわたり進講。
この頃の受講者には尾崎行雄氏(元法相)、後藤新平氏(内相、満鉄総裁)浅野総一郎氏(浅野セメント創業者)らがいる。
同年12月大阪関西支部を開設。
以来、京都をはじめ、名古屋、神戸、小樽に次々と支部を開設し「心身統一法」の啓蒙普及活動を全国的に展開。
終戦直前に特別強制疎開により東京本部建物が取り壊される不運はあったものの、終戦の混乱を乗り越え、再び全国的な活動を展開するようになる
1968年(昭和43年) 92歳 帰霊
2019年(平成31年) 天風会設立100周年

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